内藤彰俊 - 東海ヒトシゴト図鑑

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一番下っ端(経営者)

内藤彰俊 Akitoshi Naito

内藤彰俊
魚屋らしくない魚屋。
だけど身も心も根っからの魚屋!
合資会社魚ぎ
岐阜 岐阜地域

あなたの特徴・価値観をハッシュタグでご紹介ください

#答えはイエスorはい!
頂いた話や案件はすべてを受けます。いつも答えは、「yes」または「はい」です。「ノー」はありません! 地域の子供の前で、魚の解体ショーを行うなど、ただの魚屋さんではない魚屋さんを目指して、全ての事に挑戦するようにしています。
#笑顔
「あんたいつでも笑顔でいいよね。」と言われるほど、とにかく笑顔で、ポジティブに生活し、お客様とも接しています。人のいないところところで毒を吐くことも時々ありますが、、笑

改めて内藤彰俊さんのことを教えてください

合資会社魚ぎの四代目。福岡と東京で修業を行い、奥さんとは福岡修行時に出会いました。
ひいおじいちゃんの頃から続く老舗の魚屋に生まれた子どもで、物心つく前からお客様に「四代目ちゃん」と呼ばれていました。子どもながらに「俺はこういう仕事をしなきゃいけないんだな」と感じていましたが、バブル景気でお店が大繁盛していたこともあり、手っ取り早く稼ぐ手段として魚屋は良いのではないかと考え、四代目になることを決意しました。
車が趣味であった父親の影響もあり、小さい頃から車やバイク、自転車といったタイヤがついている乗り物が大好きで、数えきれないほどたくさんの乗り物を乗り回してきました。就職する人のみ自動車免許の取得が許されていた高校時代には、一寸も躊躇うことなく就職を選ぶほど乗り物には目が無く、自分の人生を語る上で欠かすことのできない大切なものです。

これまでの人生において、大きな選択だったと感じること3つについて、理由と共にご紹介ください

魚屋に生まれたこと

選択の余地はありませんでしたが、魚ぎ(内藤家)に生まれたことはなによりも幸せでした。子どもの頃に比べ、魚ぎで働き始めるようになり、お客さんや地域の人と関わりを持つようになって、より一層幸せを感じるようになりました。

東京・福岡での修行に耐えたこと

非常に厳しい環境の中で、朝早くから夜遅くまで一年半修行を行ったことで、その後の人生で持つこととなる悩みや壁がちっぽけなモノに感じられるようになりました。また、修行中に奥さんと出会い、数年後には結婚したことで、自分の身の回りのもの・ことが大きく変化することとなりました。奥さん以上に好きな人はいません。

先代が倒れた際に、自分を見つめ直したこと

三代目が病気により目の前で倒れ、働けなくなってしまったことにより、お店の経営が難しくなった時期がありました。そんな状況でもきてくれるお客様を目の前にし、気がつかないうちに、老舗であることにあぐらを搔いていた自分を見つめ直し、再度誠実さを持たないといけないと考えるようになりました。

あなたが思う自社はどんな会社か教えてください

飲食店としてイベントを開催したりなど、”いい意味でも悪い意味でも”、魚屋という言葉だけでは語れない側面があります。 こうした挑戦の背景には、ただ魚を捌いて売るような店(会社)にしたくないという強い想いがあります。 労働環境は少々大変ではありますが、働くことが苦になってしまうことがないよう、とにかく楽しい会社としての体制を整えています。 家族経営という事もあり、お客さんも含め、みんな仲が良いのもポイントの一つです。

今の仕事を続けるモチベーションの源は何ですか?

  • お客様の「美味しかったよ!」の一言
  • まだ見ぬ魚との出会い
  • 自分はまだまだだなと思う。技術職は一生修行。

あなたが思う「働くこと」の意味をどう捉えていますか?
今後考えているキャリアパスや挑戦したいことは何ですか?

働くことはお金を稼ぐことです。なぜなら、自己の欲求を満たすためにはお金が必要だからです。きれいごとではなく、自分の人生を豊かなものにするため、また、家族を守るためにお金は必要不可欠なものです。働く事は自己満足だと捉え、今後も誠心誠意働きます。

ちょこっと自己紹介

趣味・特技
趣味:車・バイク・自転車・時計・サングラス・靴・服  特技:魚切ること、スノーボード
好きなこと
好きな言葉
感動・感心・感謝

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団体情報

合資会社魚ぎ

合資会社魚ぎ
魚を売るだけでない「新しい形の魚屋さん」を目指す100年以上続く鮮魚店
海のない岐阜でおいしい魚をきっかけに人が集まる魚屋さん